ブログ

種を蒔く

「和室の出来ない大工さんが沢山いる」
「鉋(かんな)を使わなくても家は建つ」                     
などという会話をしている場面に出くわすことがあります。
私達にとっては信じられないようなことですが、
それが、現実なのです。

本来の『大工さん』という仕事、
それを無くさない為に
私たちは頑張らないといけません。

家はどうやって建つのか。
どう守るのか。
大工さんとはどういう仕事なのか。

種を蒔くときが来ています。

大切な家を誰に託すか。
それが大事だということを伝えたくて。

(2012.01.31)

笑顔の連鎖

先日テレビから
『笑顔の連鎖』という言葉が聞こえて、ふと手を止めました。

良い言葉ですね。
『笑顔の連鎖』。

その後、家族でその話になりました。

社長・岡村建一を知っている方は、きっと頷いて下さると思いますが、
丸顔・ハの字眉。
人を笑わせるのが大得意。
その為に、いつも頭がフル回転しているような。

社長画像200.jpg

最近は、ハの字の眉尻がどんどん下がってきています。

これからも、笑顔がどんどん連鎖していけるような、
そんな仕事をしていきます。

つくる・つなぐ・つづくです。

「寄せては 返して
 広がる 歌声
  海へと 空へと
   大きく 輪のように」

これは『輪のように』という合唱曲の歌詞です。
笑顔の連鎖という言葉から、フッと思い出しました。

今年も頑張ります。

(2012.01.25)

本日上棟です。

本日、内ヶ島町の現場が上棟となります。

上棟については何度かブログでもご紹介しておりますが、
やはり、私達にとっては特別な日。

心躍るというと、ちょっと表現が違うでしょうか。
家が建ち始める、一番最初の区切りですから、
皆が少し緊張した朝を迎えます。

それは、お施主さんにとっても同じ事ですね。

家が呼吸をし始める。
そんな日に立ち会える幸せを、
上棟の度に感じています。

この日までの道程や、この家から始まる未来。

皆の想いのたっぷり詰まった家が完成することを願いながら・・・。


今回の住宅は、設計事務所さんの設計による住宅です。

(2012.01.19)

仕事始め

6日より、本年の仕事始めです。

『今年は変化の年』と、社長が一日に何度も言っておりますが、
岡村建業、いろいろな新しいことへチャレンジ致します。

つくる・つなぐ・つづく

出会いやご縁というのは、
偶然ではなく、必然なんだなぁと、
いつも思います。
特に昨年は出会いの多い年でした。

お施主さんとの出会いも、
床板に使う材木との出会いも、
全て『縁』なのではないでしょうか。

想いが少しでも伝わるように、
これからも増えていくであろう『縁』を大切に、
社員一同頑張っていこうと思います。

岡村建業のチャレンジ、
これから少しずつご紹介していければと思います。

(2012.01.10)

謹賀新年

E5908DE7A7B0E69CAAE8A8ADE5AE9A20120E381AEE382B3E38394E383BC.jpg

つくる つなぐ つづく

私たちがたくさんの場所で言いつづけた言葉です。
昨年は、その言葉が身に染みた一年でありました。
いま私たちに出来ること
いま私たちがやるべきこと
それを考えながら、一日一日を大切に過ごしていこうと思います。

本年も変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

感謝                  2012年元旦

(有)岡村建業
      代表取締役 岡村建一
             社員一同

■画像は、先日竣工しました桐生市K様邸です。

(2012.01.01)

震災後

3.11の震災から9ヶ月経ちました。

あの日からの怒涛の1・2週間は、
特に今でも鮮明に思い出します。

建築途中の現場を一時中断し、
被害状況の把握、応急処置、今後の対応・・・。
時間が足りないと思う日々でした。

何より、岡村建業の歴史の重みを痛感する毎日だったのです。

一番被害が多かったのが、屋根の棟(ぐし)部分の損傷。
また、そのぐしが崩れたことによって、平瓦が割れるという連鎖。
中には、明治築の胸の高さまであるぐしが半分倒れたというところもありました。
そろそろ屋根の葺き替えをしようと、相談をしていた矢先だったのです。
一つ一つ言えばキリが無いですが、やはり、軟弱地盤や、築年数の違いで、
被害状況は違います。
岡村建業の自宅も、この地域特有の軟らかな地盤が原因で、ぐしを中心に損傷しています。
前の道路を通れば一目瞭然ですが。

岡村建業の抱える被害戸数は、新たに依頼された方も含めて、40棟近くにのぼります。

今朝、瓦屋さんが事務所に打ち合わせに来ました。

「営業できるなんて信じられないよ。」とぽつり。
年の暮れも近くなっている事もあり、工事をお待ちいただいている方の家々に
『瓦修理します』と、瓦工事の営業という人がやってきているのです。
また、市によっては、補助金工事の期限を切っているところもありますから、
そういう営業さんが人海戦術でまわっているのだと思われます。
お施主さんから、「こんなのが来たよ。」と、営業チラシを頂く事も多くなりました。

瓦の修理の仕方を見れば、良い工事か否かはわかるものです。
それは、大工工事でも一緒ですが。
瓦工事の営業が出来る時間など、あるはずも無いのです。

ひとつひとつ、確実に、誠実に、被害に遭われた家々に向かっています。
完全に工事が終了するのは、3年・4年かかると言われております。

自分達の携わった工事への想い。
その大切な家が震災によって被害に遭った。
胸が締め付けられるような気持ちでいます。。
待っていて下さる方々に申し訳ないという気持ちで
毎日を過ごしていること。
瓦屋さんも、私たち大工も同じなのです。

(2011.12.12)

竹次郎の『多』

朝夕が寒くなりました。
岡村建業100年まつりが2年前の、11月29日でした。
あの年より何だか寒いような気がしています。

マーク.jpg

さて、こちらは岡村建業のシンボル。
会社の社員のTシャツには、このマークが背中に大きくバックプリントしてあります。
これはなに?
どんな字?
と、聞かれることが多いのです。
これは、『多』という漢字です。

2代目の名前は岡村竹次郎(明治20年生)と言いました。
「竹さん」「竹さん」と慕われ、腕の良い職人だったそうです。
その竹さんが、自分の道具などに、
自分の竹次郎の『た』の字をあてて『多』という字を、
サインのように使っていたそうです。
昔の人って格好良いですね。
それをとって、
岡村建業のマークにしています。
大切な想いの詰まったものなのです。

最近はこのマークが浸透してきているのか、
このマークのTシャツを着ていると、声をかけられることがあります。
スーパーでもどこでも・・・。
目を引くのか、マークめがけて近づいてくる感じでしょうか。
思わぬところでお施主さんに再会したりする訳です。

背中に会社を背負って歩いているようなものですから、
しっかりしないといけませんね。

岡村建業に無くてはならない大切なシンボルマークです。

(2011.11.28)

郷土愛

先日、中島知久平邸を見学したのをきっかけに、
「中島知久平」という人のことを少し調べています。

岡村建業のあります太田市は、
富士重工業(スバル)のお膝元、北関東を代表する工業都市です。
そんな都市を、企業城下町というそうです。

その富士重工業の創設者が、中島知久平という人です。
中島飛行機を世に送り出した人でもあります。

調べていくうちに、面白い逸話が沢山。
なかでも、上野動物園で生まれたライオンを譲ってもらって飼っていたとか、
そのライオンを秘書が連れて銀座を散歩して大騒ぎになったとか・・・。
スケールが大きいです。

太田市民としては、やはり、スバル・中島飛行機というのは、特別なものがあります。
関連の仕事に何らかのかたちで携わっている人も多いですから。
また、その時代に生きた人たちの生の声を聞くということも、
とっても大切な事だと思います。

郷土の近代史を知っておくのも良いですね。
これからもう少し、
この土地の事を御紹介できればと思います。

さて、建築の話に絡めてみます。
軍需工場があった関係で、太田市は第2次世界大戦では、大きな空襲があり、
古い建物があまり残っていないのです。
残念なことです。


現場の近況ですが、館林市のリフォーム工事がもう少しで終わります。
下小林町M様邸新築工事では本日基礎工事が始まりました。
太田市内ヶ島町M様邸工事では、明日地鎮祭となります。

いろいろなご縁によって仕事をさせて頂いていると、日々感謝しています。
毎日を一生懸命。
丁寧に大切に使います。

つくる・つなぐ・つづくのために。

(2011.11.14)